美学

一貫した自己満足

それでも英語教育改革~カリキュラム編~

連続投稿の2本目です。これで終わりです。多分。


https://takuyarukoto.hatenablog.com/entry/2019/09/10/113114

↑の下の方〜〜〜で触れた、義務教育と高校教育を分けるなら!の詳細です。

これは英語”教育”なので、英語”入試”とは分けてくださいね


さっきのに脳を使っただけに口語体多めで、しかも完全に主観なので、軽ーく読み流す程度に、でもこうなればいいなとは切に思ってるよ。

では、義務教育と高校教育を分けるとした時に、英語のカリキュラムは高校から始めれば良い、というのはどういうことか。


・カリキュラムの前倒しにより、母語が完成していないうち(小5とか)から第二言語をやることは、非効率的である。

というのも、ブリティッシュカウンシルの出した記事(前に流し読んだだけなので見つけたら貼ります)に、母語による説明を混ぜた方が理解が早いとの結果が出ていた。これだけを鵜呑みにする訳ではないが、日英のような全く違う言語を習得する時にはオールイングリッシュの授業をするよりも理解は早まるだろう、そして次に

cognitive thinkingの面から見ても、それが完成するのはおおよそ13-5歳で、そこに言語のニュアンスという抽象概念を加えていくので、その抽象概念が分からないうちに言語を教え込むのは完全に非効率だし、僕は完全反対(特に日本みたいなEFLの国だと)

・みんながみんな英語好きとは限らない

これは上に貼った記事でも触れたね、これを義務の位置に据えてしまうと、英語が足を引っ張ったばかりに成績が下がってしまう、というのは可哀想な話。ただこれに関しては高校に進めばどの道英語に触れることになるので説得力は低いが、中1の子と高校受験をクリアした高1の子では理解力に明らかな差があるので大丈夫だろう。


・そもそもカリキュラムの所要時間が長すぎる

英語を身に付ける上で基盤となる英文法のみについて考えて見た場合、習得するのであればあまり時間はかからないだろうと言うのが私の考えである(これは米原幸大、という人から得た知見のひとつ)
6年間やっても喋れないじゃないか!という批判も、必要な項目を間延びして行っているからであって、サクッと1年~1年半ほどで集中して身につけてしまえば、間延びによる抜けも少なく、習得率は高まるんじゃないか?ということ。


・全員が高校(大学)に進学しなくても良い

これがおよそこの記事の一番の肝となる所で、現状はほぼ100%の子が高校へ、半数以上が大学へ進学するが、元を正せば義務なのは中学までで、高校(大学)へ進む必要は全くないはず。高校へ進むのは大学を視野に入れている人達(商業や工業を除く)で、そういう人たちは学問を収めるための準備期間としてさらに高度な高校教育を学ぶはずだ。そこである程度勉学への意思がある人達が追加で言語を習得するならば、方向性が固まっているのでカリキュラムもスムーズに運べるだろう。

つまり、スポーツ推薦などで高校へ行く子達もいるが、スポーツに強い私立高校ではなくスポーツに特化したクラブチームに中学を卒業してからは進めば良いと思う。あるいは商業や工業高校のように色んなジャンルの高校があってもいいと思う。
そうした方が勉学よりもスポーツ一本と決めた人には各個人の強みを最大限に活かすことができるだろうし。
学び直したくなれば受験すれば高校や大学にはいつでも入れるので。


また、就職の面で最低でも高校(大学)卒業は〜というのは、社会の価値観からの話になるのでここでは掘り下げないが、変な学歴主義に拘泥することで被る被害も多いと思う。

特定の学校非難ではないけども、スポーツに特化したが故に教育困難校となっている高校(いわゆるFラン大学)へ助成金補助金を出して全入制度を敷くよりも、分けて考えれば本当に教育を受けたい人たちへちゃんと補助金が回るのではないかな。
大学院へ行く人たちへの補助をしない、というニュースを見たがこれじゃあ日本は衰退するばかりだろうよ、悪手だと思う。


・実用英語は大学からで構わない

上の記事でも触れたが、ある程度の興味や専攻を決めないと発信するものがジャンルレスになり、かえって膨大な知識や単語を扱いかねない。だからまずはどのような分野の文献でも文法などは変わらないので、基盤をしっかりと固めて、それぞれの分野に応じて発信力を伸ばしていけばいいと思う。

ただ穴があって、ジャンルを決めればスピーキングをカリキュラムに組み込んでも構わない、ということ。例えば海外の大学を目指す子なら高1から文法などを固めて、高2から英検やTOEFLの対策をすれば良い、というふうに。しかし闇雲にプレゼンばっかりするのではなく、アカデミックなものとジャンルは絞られているので、あくまでも今やろうとしている改革よりは幾分マシなはず。
現時点だと、日本の文化を無理やり英語で紹介しようとしているけど、お盆とかは紹介しづらくない?しかもグローバルに活躍するつもりなら絶対に海外文化をベースに作った方が良いし。


さて、また色々と長くなってしまったが
カリキュラムを小学校にまで前倒ししてしまうと、小学校の教員に更なる負担がかかることとかもあるし、↑に書いたようなことは破綻はしてはいないのじゃないかと思っている。
2020年がどう揺れ動くかは分からないが、教員にまだ憧れを持っている身としては現場がひたすらに混乱するようなものにならないといいなあ

英語入試改革論

気分でゆっくりゆっくり更新しながらも、今日はちょっとクソ真面目な話というか、思考整理と疑問提起の為に。


元号も変わってしばらくして、2019年も残り3ヶ月となってしまった。


来年の2020年に控える国民的にホットな話題として夏のオリンピックがある。

そしてもうひとつ、教育に携わる人、教員を目指して勉学に励んでいる人、更には現高2生までを巻き込んで大きく取り上げられているものにお気づきの方も多いかもしれないが

大学入試改革

がある、私は密に関わっておらず主にSNSやネットニュースなどで動向を探る程度のことしか出来ていないので、細かくは各自調べてもらうといいが、大まかには


・入試改革賛成派(文科省大臣もここ)
センター試験を廃止し、民間の4技能入試を取り入れようと試みている。
現に英検がそのうちの候補として正式に採用されて、9月の18日(確か)から高校生に受験番号の予約を開始しようとしている。
更に、ベネッセの打ち出す新入試形態のGTECを導入しようともしている

しかし、その制度の不備を懸念して、現在は反対の声が多く上がっている。

・受験の公平性が保たれない
・急な改革を進めるあまり、制度の不備や情報が浸透していない
・そもそも4技能を推し進める必要性がない

などが多く散見される意見だ。
もちろん、中には4技能化に賛成する声もある。
新興国として力を伸ばしている周辺のアジアの国と日本の英語力とを比べて日本もグローバル化を推し進める為に実用英語を身につけて行こうとする声だ。
先にも言ったが、まだ一大学生であり、制度に精通していないので上2つではなく、3つ目の観点から思考整理と疑問提起を。


こうした賛否両論を踏まえた上で、まずはあえて入試改革とは一歩遠ざかった場所から、グローバル化の必要性について意見を述べよう。


個人的な考えだと、国民を上げて一億総グローバル化は全くを持って必要ないと思っている。

「来年に控えたオリンピックに向けて、英語で案内を〜、簡単な会話を〜」というのは、オリンピックに携わる人達が備えておけばいいんじゃない?
それに選手達にはスタッフとしてコミュニケーションの間を取ってくれる人たちがいるだろうし。

さらには、”グローバル化”というのは小さい世界とも言われるが、各国の(文化などの)差異を取り払い、地球規模で物事を考えることであって、今回のオリンピックのような日本を世界に売り出す、魅力を発信していくのであれば”インターナショナライズ”というのが正しいような気がする。(参照 https://gimon-sukkiri.jp/global_international/)

これではただの揚げ足取りに過ぎないが、要は一億総グローバル化を無理に進めていくと、日本特有の個性というものを潰してしまい、言語面では英米権威主義を受けて一種の植民地化をしてしまうのではないか?という事だ。極論かもだけど。

じゃあ周辺のアジア国は!シンガポールは!インドは!
という方、ちょっと落ち着いて、彼らは確かに流暢に英語を話し、グローバルに活躍する人達も多いが、そういう人たちは祖国内のエリート達であり、世界に出るための訓練として厳しい英語教育を受けて試験を受けているのであり、TOEFLやIELTSなどを見ても世界に羽ばたこうとする一握りの人達が受けている。総グローバル化とは言えないだろう。さらには英国の植民地であったという側面もこれに一助してるんじゃないかな?と個人的には思う。(あまり歴史に詳しくないので間違ってたら追記します)

これらから、ほとんどの高校生が受けるだろう入試をわざわざ変えてまで、一億総グローバル化を推し進めなくてもいいのじゃないかな。



次に、入試の制度と、将来教育に携わろうとしている身からの意見を。

私は実は少し前までは4技能入試に慎重ではあるが賛成派だった。しかし、柴山昌彦文科省大臣のツイートを巡って、問題点が露になると同時に、色んな意見を見たあとではだいぶ意見が変わってきた。

https://takuyarukoto.hatenablog.com/entry/2019/03/02/163244

もちろん上に触れた教師像は変わっていない、資格もきちんと取ろうと考えている。

ただ、新入試で求められる人材や焦点となる能力という面から見ると、この改革は中止あるいは延期して再考する必要があると強く感じている。

https://twitter.com/shiba_masa/status/1169457814093217792?s=19 このツイートに表れていることに加え、入試が変われば指導要領も変わり、実用英語を操れるようになる。
そのために実用英語をセンター試験を廃止する、とあるがこれらを分けて考えてみたい。

まずはツイートを受けて
このことと英語教育を変えることは必ずしもイコールとは限らなくないか?少なくとも母語の日本語で教育を受けられる整備がある現段階では。それなら日本語でのディベート教育を敷く、入試の”国語”に4技能入試を導入するなど、前提はまた変わってくるはず。


そして実用英語を操る、ということだが大前提として言語は単に人とのコミュニケーションを計る手段以外の何者でもなくて、その手段の先にある目的(海外で働く、専攻分野の英語の資料を読む、等)を遂行するために運用基盤としての言語が必要であり、喋ることのみを念頭におくべきではない、本末転倒となる。

また、流暢に喋れることだけを考えて要領を変えてしまうと、生徒が三者三様である以上は興味も大きく異なり、仮に興味のあることをプレゼンしようとした時に扱う分野がジャンルレスとなってしまう。(医学と法学では必要とされる単語や知識がまるで異なる)
なのである程度の興味や専攻を分けた(大学に進む)上で、海外へ出ようとして必要に迫られた時に英語という手段を身につければ良い、と思ってる。

最後に、教員を目指す上で
ひとつ懸念としているのが、子供たちの全員が英語を堪能になりたいと思ってはいないだろう、ということだ。
私は個別指導の塾で講師として2年ほど教えていたことがあり、そこでは苦手科目の英語をなんとかテストで悪い点を取らないようにと学びに来ていた。そんな子達の負担を増やしてしまえば、ますます拒絶反応は酷くなるばかりか、負担に圧されて他教科が疎かになる可能性もある。そんなことは全く望んでいない。

ただ、平泉渡辺論争https://languagevillage.co.jp/english_and_japanese/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A4%A7%E8%AB%96%E4%BA%89%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%87%88/ の渡辺氏の試案を借りてそれに加えるとすれば、世界最大規模の公用語である英語を学習するということは、思考力をきちんと鍛えられるものでもあるし、英語で書かれた資料を通じて広い知見を得ることが出来る。なのでインプットとしての読み聞き(リーディングとリスニング)、言わば潜在力は蓄えておく必要はあると思う。

義務教育(高校進学が殆どなので高校での知識も)というのは国民が最低限蓄えておいてほしい知識のことで、そこに高望みする必要はないんじゃないかなと、さらに言うと、将来何らかのきっかけで学び直しをしたくなった時にそのきっかけとなる基盤をを植え込んでおくのが義務教育の役割ではないかと、そしてそれを手助けするのが教員の役割であると私は考えている。


あるいは厳密に高校教育と義務教育を分けるのであれば、高校が大学進学を目指すものだと定義するなら(商業や工業などは除く)、英語のカリキュラムは高校からスタートしていいと思っている。(別の記事にします、とりあえずここまで!)

ここまで述べてきたのが本心で、これらを踏まえて現状の英語入試改革論には問題は懸念材料が多く、中止あるいは延期して再考すべきだろう。

備忘録 ~プチ留学編~

久方ぶりの更新となりました。


今回は何かを発信すると言うよりは題の通りプチ留学をして気づいたこと、見えたこと、そして決意表明の備忘録となります。

大方はn番煎じになるし、Twitterやどこかに発信するには大きい事なのでメモ代わりに…


【身辺整理】

今夏休みを利用して、アメリカはモンタナへワークトラベルに来ています。(アメリカはワーホリ制度がない?ので会社を通じてワークトラベルと称しているけど多分同じ)

参加前の英語力は

英検準1級を保持、出国前に1級に臨むも、2-4問ほど足りずに一次不合格
TOEICは4月時点で750、7月にも受けたけど結果はまだ(追記します)、おそらく800はある
IELTSでOA6.0(L6.5R6.5W5.5S6.0)


そして1週間が過ぎた時点での所感↓
・割とホームシックは大丈夫
・周りがアジアの方+限られた範囲の英語しか使わないから語学力の向上は見られない
・+人見知りがあると日本人だけで行動しがち(避けたいやつ)
・2ヶ月で30万ほど稼げる(参加費を引いてもいくらか利益が出る)って言われてるけどそれなら日本で いつもより多めにバイトを入れた方が参加費が無い分断然マシ


と、最後のはまぁ経験を買うのだと論を替えれば落ち着く話なので不問とはします。
(ただ参加してる中で何人かはリゾバ感覚で来てるので、そう見ると損かも)


私は語学力の向上にプラスαで元が取れるのならまぁ語学校へ高いお金を出して行くよりは幾分マシかな?とは思い参加をしましたが、さっきの所感にも書いた通り語学力の向上はほとんど見られないです。

もちろん自分の事前の準備や着いてからのハングリー精神が足りないこともあるが、それでも基本的に働いてる間にベラベラ喋る用も無いし、ネイティブと話す機会も業務上の事だし、いわゆるスピーキングが上がるって見込みは低いです。


ワーホリを半年や1年と割と長期でやってても身につかない、ついてもブロークンしかつかない理由は大半がここに収束するんだなあと身にしみた瞬間です。


幸い、仕事が終われば自由時間も多く、休日も週2日は確保されているので、そこを上手に使って自学に割けばまだ勉強はできるし、それをすぐアウトプットできる環境もあるのが利点です。(荷物を抑えるために単語帳ぐらいしか持ってこれなかったけど)
また、有志を見つけて無理矢理英語で話したり、ネット環境さえ整っていればオンライン上で英会話だったりとどうにでもなるとは思います。
※ただ働いて疲れた身でこなせるかどうかは別にして、自分は何回か寝落ちしました。


なのでこれからは今ある単語帳を極めていくのにくわえて、今している仕事内容を口に出して、脳から口への通り道をスムーズにしてあげる(ブロークンではなく)ことがやるべき事だと自覚しました。早速取りかかろうと思います。


さて、現状の身辺整理と、これからすべき点が見つかった所で、もう少しこうすべきだなという点を。

留学に行く前に確実に伸ばしておいた方が良いスキルは4技能の観点で分けていくと

リーディングとリスニング>>>>>スピーキング≧ライティング

だと勝手に思っています。というのも、
まずは書いてあるものや言っていることが分からないと生活が出来ない。
そして意思発信の場では単に機会の差でスピーキングの方が多いし、ライティングは英語を苦手としない人ならある程度は行えるだろうから。


ですね、特にリスニングは慣れているアメリカ英語のはずなのに周りの音やその人のクセ、スピードによって全く歯が立たない時もしばしば。

スピーキングは最悪単語を連ねていれば(失礼ですけど)伝わるので、ただこれは早急に改善した方が良い。


そしてここからは全く関係ない話にはなるけど4技能に触れたので、普段なかなか言えない入試改革への個人的な考えを。

上にも書いたように実用性の面でいくと確実に無いと困るのはリーディングとリスニングで、故に現行の2技能の制度は基礎固めとしては悪いとは思っていないけど、6年はかけすぎだと思う。


かといって前倒しにして母語が曖昧なまま英語を取り入れたり、また高校からオールイングリッシュの授業には大反対だし、入試を4技能を扱うものにするのも色々見てきた中で反対派へと傾いてきた。

柴山 文科省大臣がすごく槍玉に上げられてるけど、あんな無責任な机上論でよく物事を言えるなと、現状との乖離に全く気づいていない。変えることのみを是としている。

今必要なのは2技能から4技能へと橋掛けをしてあげることで、いきなり4技能で力を測るといっても僅かな顕在量しか出ず、混乱するのは明白。しかもその橋掛けをできる先生が全国規模でいない、いても都市部。これは受験地域の格差になるので公平性が保たれないので断固反対。

↑これが民間試験の採用よりも重要な問題じゃないかと思っています。
2020を境にどう揺れるか、というより揺れていては見世物にされる受験生が不憫で仕方ないですね。

11月より本命となる教授法の取得をする留学が決まっている、意味の無い改革には声を上げつつも、どう変化しても対応できる人材になるべく本命の留学はぜひとも成就させたい。

いつ書こうとも長ったらしくなりますね、入試改革についてはまた意見がちゃんと固まって、ブログをやる気があれば詳らかに書こうと思います。
では!

疑問

お久しぶりです、あわや1ヶ月空くところでした

 

そして久々ながらガツンと重めのです

 

話の導入から

去年の夏に議員インターンシップ(いわゆる企業インターンとは少し違います、また機会があればブログにしますね)に参加して、その時の活動の中の一環で、教員のワークライフバランスを考えるセミナーのようなものに参加しました。

 

そのあとの懇親会に参加した時に、参加者の1人から「君は英語の教員志望やけどさ、”日本人”の英語教員っているん?」と問われました。

 

これが題の疑問に当たるものです

 

その人の言い分としては

・2020年からはオーラルを含んだ授業に変わる

・それなら日本人よりインド人の方が喋れる

トリリンガル以上の人もいるから、偏った文化の価値観の偏りとかもないし、かつ理解が深い

 

というもので、その時僕はそこまで深く考えてはいなかったので、思わず言葉に詰まりました。

 

そして別れ際に、「次会う時までの宿題な!」と言われました。(語弊のないように、めちゃくちゃ気さくな方でした、顔はハッキリ覚えているものの、名前はド忘れ)

その人とはそのセミナー以来会えずじまいで、最近セミナーを第2弾を開くとメールの通知が来たのでフワッと思い出しました。

 

今でもハッキリその答えは無いですが、ひとまずの結論として書き留めておこう

 

・ブリティッシュカウンシルの研究によると、第一言語を効果的に使った方が第二言語の習得の効率は高いと言われている(リンク探して追記しておきます)

・日本人特有の文法ミスなどは、それを乗り越えた日本人にしか分かり得ない(感覚の共有)

・伸び悩んでいる子がいた時の気付き易さに差が出る(上と似ているかな)

→理想は日英に精通したバイリンガルが教員になること

 

とまぁアンサーは現段階でこんな感じです、まだまだ変わるかもしれません。

なので今までの日本式の英語教育観、紋切り型の読みに偏重した指導だと、2020年超えてどうなるかはまだ分からないものの、対応は出来ずにいずれ廃れて行ってしまうんだろうなあとは思います。

 

そのために、まだまだ途上ですが取りたい資格も定めて今その準備中です(また決まったら随時ブログにします。)

 

以上です!

まずは日本人が英語教員になる意義というものを自分なりの結論として出しました。

ここまで読むと、教員じゃなくて塾講師は?とかの質問もあると思います(現に塾講師にも魅力を感じてる)

とか、他にも2020年以後はこう変わって欲しい、あるいはこう働きたいというのもブログにしていこうと思います

 

それでは!

俺には夢がある

こんばんは、毎度遅い時間の更新になっちゃいますね。

勉強しようか寝ようかの瀬戸際で思い詰めるとフワッとネタが出るのでこうして筆を取っているわけです(あまり良くない)(さっさと勉強しろ)

 

 

まぁ今回は多分勉強するやろし短めに

そうです夢なんですよ、題目も僕がもう物心付いた時から親父が車の中で延々と流して、今では切り離せないバイブルとなったTHE BLUE HEARTS の[夢]から取った一節です

 

あれも欲しい これも欲しい

もっと欲しい もっともっと欲しい

俺には夢がある

両手じゃ抱えきれない

俺には夢がある

ドキドキするような

と始まるんですがもう最高ですよ、またこの話は音楽関連の時に嫌という程しますね(歌詞間違いが怖くて、[夢 ブ]まで検索欄いれたら、何故か”ブ”なのにフィッシャーズが出ました、時代ですね)

 

とはまぁ良いとして、僕の夢は中1ぐらいから1位はもう揺らぐことなく[英語の教師]です。

最近はブラックだとかは全然苦とも思わないけど、給与面から何も教員限定じゃなくても英語教育に携わる人、ぐらいまではフワッとなりました。

 

そこから2位と3位が絶えず気分によって変わるんだけど、警官かお笑い芸人です。ちなみにこれを高校の進路相談で真面目に書いたら先生に爆笑されました、人の夢笑いやがってクソハゲめ

 

警官はまぁ教員と変わらずド安定思考のクセが出た&空手と柔道をやってる(た)ので、まぁそこそこ有利に働くかなーって、あと愛知県警の本部へ一度行く機会が合った時に、詳細は忘れたけど○○課、SPって書いてあって、クソほどSPになろうと憧れてた時期がありました

ただ、条件として

・英語が堪能なこと(これからの努力次第)

・柔道あるいは剣道で参段以上(柔道は初段だから在学中にせめて弐段は欲しい)

・銃の射撃が上手であること(知らん)

 

……ワンチャンありそうじゃね?(舐)ってので、ちょっと憧れ継続中

 

次にお笑い芸人ですね、これはもう特にテレビっ子だとか、芸人マニアって訳ではないけど、人を笑かすことが好きで、色んな言い回しや比喩があればすぐ試したくなる性格なのでってだけです、見通しは無いです

でも高校の文化祭で相方見つけて漫才やったろかぐらいは思ってました

 

自分のしたい漫才のスタイルはまだぼんやりとしてるんですが、つい最近[金属バット]というコンビを見つけてからこれだ!!!!って思ってしまいました、と言うよりこれを書いてるのも7割これがメイン、残りの3割はROOKIESを描いた森田まさのり先生の[べしゃり暮らし]と出会ったことです、これもクソ面白いですよ、僕自身読破してないのでなんとも言えないけど。

 

両手で抱えるどころか片手で指折り余裕なレベルの夢の数やったけど、かけてる情熱はそらもうヒロトにも抱えられないですよ、えぇ。

しかもめっちゃ長くなった、ホントは5位ぐらいまであるけどもうええか、それでは!

 

 

読書

こんにちは

 

今日は読書についてです

丁度昨日、友達と遊ぶ機会があり、ひょんなことから読書の話になったのでつらつらと。

 

とはいえ、私が最近読んだものを感想付きで述べるのではなく(むしろ全然読んでない)

読書に対しての考え方、ぐらいかな

 

私自身は、親の教育方針に振り回され、保育園の頃仮面ライダーとかはほとんど見ずに、むしろ絵本やら易しめの本を読む日々を送る内気で華奢な子でした。

 

そんなこともあって、友達になるための共通項である仮面ライダーを逃した結果、ズルズルと小学校低学年までは友達らしい友達もおらず、長期休みには図書カードをパンパンになるまでひたすら偉人伝やら”ドラえもんで学ぶ○○”的なのを読み漁っていました。

 

私の今の外見を知る方はもうそりゃあ意外でしょうね。

 

でもおかげで中学の頃には漢検2級のテキストは何となく分かったし、中学理科を理解するぐらいの科学的知識は付きました。(高校は早々と努力家に抜かされました)

 

それでいて3.4年生の時に分かりきった漢字ドリルをやるのが馬鹿らしくてサボり癖が付いて以後、みるみる内に周りに抜かされ、5年生の頃ようやく野球を通じてアウトドアになった途端、読書の習慣も無くなり、今に至る訳です

 

だから今は3.4年生の頃に貯め込んだ貯金の日本語力とあとはフツ〜〜〜に暮らした中で得た知識だけでバカをひた隠しています

 

ただ、大学に入って個性しか無い人達が周りにいる中、「あっ、この子知的だな」とか、「この子の言い回しとか綺麗だな」って子は後々聞くと大体幼少期に読書をしてた子達でした。

 

それらを鑑みると、内気で華奢だった暗い幼少期はあまり無駄じゃなかったなとようやく報われるような気がします。

 

そしてあくまで個人的な考えですが、例えばTOEICの点数なんかが上に積まれていく分かりやすい能力だとしたら

反対に読書というのは、下から支えてくれる、決して目立たない傍から見れば意味の無い能力だとは思います。

 

ただ、節々に出てくる知的さ、言い回し、語彙力なんかに賢さや人間の心を揺さぶる何かを与えてくれるものだと思います。

 

特に私はお笑いも好きなので、自分の発した言葉の思惑が通じて笑ってくれたらとても嬉しいし、反対に比喩などが通じないボキャ貧の人達はちょっと苦手です

 

 

なんて書きつつも、今日から長めの春休みです、IELTSの勉強はもちろん、積ん読してきた本達も読んであげないとなあ、なんて。

 

2019年がもう1ヶ月過ぎたけど、まだまだ飛躍の年にして行きたいなと思います、それでは!

やる気と時間

こんばんは

 

前回書いたスマホから離れた勉強が割と功を奏していて、ホクホク顔です

 

とはいえ今日は完全なる言い訳武装でしか無いけどやる気に加えて体力もすり減っていた。やっぱりどこかスマホを触っている

 

やる気と言うものは絶対的なものではなくて、やる気がある/ないではなく、絶えずやる気自体はあるのだと思う。

 

それが自分の置く環境、もっと言えば趣味嗜好や時間帯、気分、接している人やモノに応じてやる気というナニカが顔を流動的に出したり引っ込めたりするのだろう。と思う

 

だからポップでキャッチーな音楽を聞けばその気になり何かを思い立ってしまうのだろう。良いことだけどね

 

それでいてやる気というものはとてつもなく扱いづらくて、高みへと自分を押し上げてくれる起爆剤なのに、やる気自身は絶えず低い方へ簡単に流れてしまうものだ。だから便利で万能とも言えるスマホがあると興味がそちらへ移ってしまう、楽しいもんね。

 

なーんて不定期のクセに訳分からんことをつらつらと書き出したのも、山場を迎えてるにも関わらず[やる気が出ない]の一言でもうひと踏ん張りが聞かないからだ。だが今日はもう踏ん切りを付けて明日に備えようと思う。

 

明日がとりあえず大きな山場だ、そして週末には春休みが来る。20日後にはいい加減手を切りたいIELTSがそこまで来ている。バイトはその為に減らした。他にも学びたいことは沢山ある。

 

時間は貴重な財産だと言うが、確かにそれは私も同意するがそれをどう取るかは各個人次第だろう。

というのも、貴重な財産だったなあと思う時には、一度無駄にしていないと気づけないからだ、常に時間を活かし続けている人はそんなこと考えたりもしないだろう。

だから言い始めた人もどこか時間を無駄にしてしまったと後悔したんだろうね。

 

人間にはとてつもなく頭の良い人達がいて、クイズ番組なんか見ててもどうしてそこまで覚えれるのか?と思ってしまうが、予知をする人はいなくは無いのだろうが、まだ形而上の扱いだ。

 

やっぱり諦めがつかない、たとえ意味はなくとも自己満の為にテスト勉強をしよう。

 

追記︰スマホで○○(勉強系の)も、元は紙で、手でやっていたものをスマホでも出来るようにしただけのもので、スマホじゃないとダメって訳じゃないよね、もちろん効率はいいのかも知れないが 

ただ紙で、手でやった方が何となくやれた感はあるね、アナログ脳かしら