美学

一貫した自己満足

それでも英語教育改革~カリキュラム編~

連続投稿の2本目です。これで終わりです。多分。


https://takuyarukoto.hatenablog.com/entry/2019/09/10/113114

↑の下の方〜〜〜で触れた、義務教育と高校教育を分けるなら!の詳細です。

これは英語”教育”なので、英語”入試”とは分けてくださいね


さっきのに脳を使っただけに口語体多めで、しかも完全に主観なので、軽ーく読み流す程度に、でもこうなればいいなとは切に思ってるよ。

では、義務教育と高校教育を分けるとした時に、英語のカリキュラムは高校から始めれば良い、というのはどういうことか。


・カリキュラムの前倒しにより、母語が完成していないうち(小5とか)から第二言語をやることは、非効率的である。

というのも、ブリティッシュカウンシルの出した記事(前に流し読んだだけなので見つけたら貼ります)に、母語による説明を混ぜた方が理解が早いとの結果が出ていた。これだけを鵜呑みにする訳ではないが、日英のような全く違う言語を習得する時にはオールイングリッシュの授業をするよりも理解は早まるだろう、そして次に

cognitive thinkingの面から見ても、それが完成するのはおおよそ13-5歳で、そこに言語のニュアンスという抽象概念を加えていくので、その抽象概念が分からないうちに言語を教え込むのは完全に非効率だし、僕は完全反対(特に日本みたいなEFLの国だと)

・みんながみんな英語好きとは限らない

これは上に貼った記事でも触れたね、これを義務の位置に据えてしまうと、英語が足を引っ張ったばかりに成績が下がってしまう、というのは可哀想な話。ただこれに関しては高校に進めばどの道英語に触れることになるので説得力は低いが、中1の子と高校受験をクリアした高1の子では理解力に明らかな差があるので大丈夫だろう。


・そもそもカリキュラムの所要時間が長すぎる

英語を身に付ける上で基盤となる英文法のみについて考えて見た場合、習得するのであればあまり時間はかからないだろうと言うのが私の考えである(これは米原幸大、という人から得た知見のひとつ)
6年間やっても喋れないじゃないか!という批判も、必要な項目を間延びして行っているからであって、サクッと1年~1年半ほどで集中して身につけてしまえば、間延びによる抜けも少なく、習得率は高まるんじゃないか?ということ。


・全員が高校(大学)に進学しなくても良い

これがおよそこの記事の一番の肝となる所で、現状はほぼ100%の子が高校へ、半数以上が大学へ進学するが、元を正せば義務なのは中学までで、高校(大学)へ進む必要は全くないはず。高校へ進むのは大学を視野に入れている人達(商業や工業を除く)で、そういう人たちは学問を収めるための準備期間としてさらに高度な高校教育を学ぶはずだ。そこである程度勉学への意思がある人達が追加で言語を習得するならば、方向性が固まっているのでカリキュラムもスムーズに運べるだろう。

つまり、スポーツ推薦などで高校へ行く子達もいるが、スポーツに強い私立高校ではなくスポーツに特化したクラブチームに中学を卒業してからは進めば良いと思う。あるいは商業や工業高校のように色んなジャンルの高校があってもいいと思う。
そうした方が勉学よりもスポーツ一本と決めた人には各個人の強みを最大限に活かすことができるだろうし。
学び直したくなれば受験すれば高校や大学にはいつでも入れるので。


また、就職の面で最低でも高校(大学)卒業は〜というのは、社会の価値観からの話になるのでここでは掘り下げないが、変な学歴主義に拘泥することで被る被害も多いと思う。

特定の学校非難ではないけども、スポーツに特化したが故に教育困難校となっている高校(いわゆるFラン大学)へ助成金補助金を出して全入制度を敷くよりも、分けて考えれば本当に教育を受けたい人たちへちゃんと補助金が回るのではないかな。
大学院へ行く人たちへの補助をしない、というニュースを見たがこれじゃあ日本は衰退するばかりだろうよ、悪手だと思う。


・実用英語は大学からで構わない

上の記事でも触れたが、ある程度の興味や専攻を決めないと発信するものがジャンルレスになり、かえって膨大な知識や単語を扱いかねない。だからまずはどのような分野の文献でも文法などは変わらないので、基盤をしっかりと固めて、それぞれの分野に応じて発信力を伸ばしていけばいいと思う。

ただ穴があって、ジャンルを決めればスピーキングをカリキュラムに組み込んでも構わない、ということ。例えば海外の大学を目指す子なら高1から文法などを固めて、高2から英検やTOEFLの対策をすれば良い、というふうに。しかし闇雲にプレゼンばっかりするのではなく、アカデミックなものとジャンルは絞られているので、あくまでも今やろうとしている改革よりは幾分マシなはず。
現時点だと、日本の文化を無理やり英語で紹介しようとしているけど、お盆とかは紹介しづらくない?しかもグローバルに活躍するつもりなら絶対に海外文化をベースに作った方が良いし。


さて、また色々と長くなってしまったが
カリキュラムを小学校にまで前倒ししてしまうと、小学校の教員に更なる負担がかかることとかもあるし、↑に書いたようなことは破綻はしてはいないのじゃないかと思っている。
2020年がどう揺れ動くかは分からないが、教員にまだ憧れを持っている身としては現場がひたすらに混乱するようなものにならないといいなあ